なにげなく、本屋で「絵画の見方」のような本(タイトルは忘れてしまいました)をパラパラと立ち読みしていると、なるほどー!というか、はっとさせられるようなことが書いてありました。
画家というのは、誰かのために絵を描いているのではなく、自分を表現するために絵を描いている。
ピカソは「泣く女」を描いた。ドラ・マールの父が亡くなった時に見た彼女の涙に衝撃を受けて、その気持ちを表現したかった。鑑賞者が観て幸せになれるような絵を描いていたわけではない。
モンドリアンは赤、黄、青の3色と白と黒で、線と四角を使って絵を描いた。こういう絵しか描けなかったから、こういう絵を描いたのではない。
上手く描けるから、上手い絵を描くのではなく、上手く描けないから、抽象画を描くのではない。
現にジャクソン・ポロックはもともと具象画家だったのだ。抽象的な表現が一番しっくりくるから、それで自己表現をしている。
自分が一番心地良いと思う表現方法で自分を表現すれば良いのだと思いました。
わかってはいたはずですが、一流はこれしか描けないから、これを描いているというわけではないのだということをもう一度再認識しました。
上手な絵(というと語弊を招くかもしれませんが)というか、写実的な絵というか、普通にわかりやすい絵というのは、どんな人が観ても、理解されやすい部分があると思うのですが、それを描けるのにあえて、アブストラクトに表現したり、キュビズム的に描いてみたり、というのが、その、すごいなと思ったわけです。
こう、まさに心地良い自己表現を100%しているのに、観るものに媚びていないのに、結局それが受け入れられているというのは、すごいことなのでは!?と思ってしまいました。